JOYとじょいふる

JOYYUKIの曲で何が好きかって訊かれたら、そりゃあ「WAGON」も「ワンダーライン」も「ランデヴー」も「2人のストーリー」も「大人になって」も最高だけど、でもやっぱり「JOY」なのかもしれないなっていつも思う。

「JOY」っていう曲はどんな曲か。おれはあの曲は「死」について歌った曲だと思う。「JOY」を聴くたびに濃厚な死の匂いが自分の身体にじっとりとまとわりついてくる感じがいつもする。

四つ打ちっていうのは死のビートだと思う。永遠に繰り返されるキックは、おれの身体を杭のように打ち付けて、打ち付けて、その場から動けなくさせる。それに抗うように必死で身体を弾けさせて、それが結果的にダンスみたいなものになる。

「いつか動かなくなる時まで遊んでね」なんて歌われて、「そうか、自分にはそれしかできないんだ」ってやっと気付いたりして。死ぬまでワクワクしたくて、死ぬまでドキドキしたくて、でも結局いつか動かなくなるんだと思い知る。

YUKIはやっぱりものすごい。見てる景色とか持ってる覚悟とかが凡百の歌手とはまるで違う。結局おれたちがそのアーティストのどこに夢中になるか、どこに心を撃ち抜かれるかっていうと、メロディセンスとか気の利いた歌詞のフレーズとか、そんなものではないんです。人間そのもの。その存在感だけが胸をガシッとつかむような感動を与えてくれるし、それだけがおれたちにめちゃめちゃな量の涙を流させる。

ところでいきものがかりには「じょいふる」っていう曲があって、あれはものすごくヘンな歌だと思うんだ。CMなんかでパッと聴いて、脳天気で楽しい曲かと思ったら、マイナーコードに乗っかる歌詞は「じょいふるだって終わっちゃう / エビバデいつか終わっちゃう」っていう、なんだよそれポッキーのCMソングなのにどういうことなのって思ったりして。ライブで聴くとめちゃめちゃ盛り上がって、だけどひたすら切なくて、結局終わりのことばかり考えてしまうっていう不思議な名曲。

楽しい時間はいつか終わる。人生には終わりがある。だからJOYとかじょいふるとか言って、飛び跳ねて、駆け抜けて、この生きてる時間を燃やしていくしかないのなって思う。なるべく余計な燃えかすが残らないようにやれたらいいんだけど。

ショーシャンクの空に

おれの父親は仕事を引退して以来、車で旅をするようになって、軽のワンボックスを走らせて道の駅に泊まりながらゆっくり全国を回ったりしてるの。

んで一昨年あたり、おれが実家に帰省したときに旅の話をしてたら「昼間はずっと車で走ってるけど、夜はヒマだからDVDで映画が観たいんだ」って言うわけ。そういえば父親はもともと洋画が好きで、映画館に足を運んだりはしないけど、金曜ロードショーとかそういう番組を家でよく観てて。特に「ダーティハリー」が好きだって言ってた。それで今はポータブルDVDプレイヤーに興味を持ってて、ヤマダ電機でカタログもらってきたりして、それをおれに見せて「こういうのどうなんだ?」って訊いたりして。

「うん、いいんじゃない?」とか言いながら、おれはとりあえず実家に持ってきたノートパソコン開いていろいろ検索して、一番よさそうなやつを注文してみる。実家はもちろんネットとかないから両親はネットショッピング初体験。「これでクレジットカードで払って、宅急便で届くのか」とか言われるの新鮮だった。ヤマダ電機の値段よりずいぶん安いって言われてちょっと誇らしかった。

2日後に届いて、使い方をひと通り教えて、無事に車でDVDが見れるようになって。ワンセグも内蔵されてたから「ここをこうやるとテレビが観れるよ」って伝えたけど、そのへんはあんまりわかってなさそう。とりあえずTSUTAYAで借りていろいろ観てみるって言ってた。

そんで、数カ月後に父親が誕生日だったからDVDを何枚か贈ろうと思い立って。ちょうどAmazonで3枚3000円、みたいなセールをやってたからいくつか見繕って注文して実家に送ってみた。

そしたら気に入ったのがあったみたいで、ちょっとしてから電話したら、それはもう2、3回観たって言ってて、「どの映画?」って訊いたら「刑務所で出会った黒人との話で……」みたいなこと言ってて、「なんだろう?」ってちょっと考えて、あー「ショーシャンクの空に」か!って思いました。うんうん、確かにあれはべらぼうに面白いもんなー。原作より映画のほうが好きだわ。

モテる先輩

大学んときのバイトの先輩で、すんごいモテる男の人がいて。当時20歳かそこらのおれはちょっとかわいがってもらって、たまに飲みに連れてってもらったりしてた。「ノルウェイの森」で言う永沢さんみたいな存在というか。

今思えば特別にイケメンってわけでもなかったと思う。でもまあちゃんとおしゃれで、気が利いてて、仕事はできるし後輩の面倒見もいい。ちょっと話せば「あーこれはモテるわ」って思わず納得しちゃうようなそういう人だった。実際いつも複数の女の子とつきあってて。今より若くまっすぐだったおれは「そういうの、二股とか三股とかよくないですよ!」とか言いながらも遊んでもらっていた。

そんな感じの百戦錬磨のモテ男だけど、一番印象に残ってるのはその人の家に行ったときのこと。いつもの感じで朝まで飲んでいつもはそのまま帰るところを、その日はなぜか家に寄らせてもらって。そしたらその人が「朝メシ作ってやるよ」て言って、トースト焼いてコーヒー入れて、目玉焼きを作ってくれたの。そんで「できたぞー」つって出してくれた目玉焼きはえらい焦げてて、お世辞にも美味そうとは言えない感じ。でもその人はすんごい笑顔で「どう? 美味いだろ!」て言う。そんときに「ああ、これなんだなー」ってなんだかわかった。とにかく人は自信満々でいることが美徳。うじうじ迷っててもどうにもならん。間違っててもダメでもいいから、とにかく笑顔で進んでいくべし。いまだにあんまりできてないけど、あのとき「これか!」て思った感じは今もよく覚えてるなー。

後藤真希について考えてる

後藤真希についてぼんやりと考えてる。10年前の僕らは胸を痛めて「ザ☆ピ〜ス!」なんて聴いてた。そしてモニタに映し出される彼女の非凡な存在感に、ひたすら驚かされていた。

やっぱりあの頃の彼女は特別だった。だからこそ、ハロー!プロジェクト卒業後の活動にどうにも納得いってなかったのも事実で。アイドルとしてのずば抜けた身体能力と、持って生まれたカリスマ性、そしてその存在自体が生み出す光と影。そういう魅力がほとんどこちらに伝わってこないことがもどかしかった。

だいぶキモイ感じになってるけど、続けますね。

ソロになって、エイベックスに移籍して、R&B路線みたいなことをやり始めて、まあ正直よくわかんなかったです。コンセプトもパフォーマンスも、別に後藤真希がわざわざやんなくてもいいような感じのものだったから。だからって、ハロプロ時代のつんく♂のプロデュースがベストだったかっていうとそんなこともない。つんく♂は彼女のことが好きすぎて、たぶんそれ故にソロとしての彼女を的確にプロデュースすることができなかったんだと思う。ていうか後にも先にも、後藤真希をまともにプロデュースできた人はいない。松本人志には浜田雅功がいて、宮本茂には岩田聡がいて、マイケル・ジャクソンにはクインシー・ジョーンズがいた。でも後藤真希には誰もいなくて、それが彼女の不幸だった。彼女のずば抜けた才能に誰も追いつけなかった。

いい曲ももちろんたくさんあるけど、本人の魅力が圧倒的すぎて、どんなプロデューサーもサウンドクリエイターもその才能を翻訳し続けることができなかった。彼女にしかできない大切な仕事があるはずなのに、誰も彼女にそれを与えることができなかった。本格派のR&Bとか良質なポップスとかそんなもんやってても仕方ないのになーって思ってました。

弟は逮捕されて、母親を事故で亡くして、女性誌で「決意のセミヌードグラビア」なんてのをやったりもして。そして昨年末のライブを最後に活動休止。栄光を極めたトップスターが辿る悲劇のストーリーなんて、そんなのぜんぜん見たくないのに。そういうの見たがる人たちが世間には多くて、ほんとそういうの悲しくなる。

後藤真希モーニング娘。に在籍していたのは、1999年「LOVEマシーン」から2002年「Do it! Now」までの3年間。あの頃のモーニング娘。に「人生って素晴らしい」って歌われたら、それはそうだなって素直に思えたし、「努力・未来・A beautiful star」ってシャウトには明るい希望が宿ってた。結局シンプルなメッセージしか人の心に届かないってことを、おれは後藤真希から学んだのだった。

とりあえず今おれが望んでるのは、プッチモニがオリジナルメンバーで再結成したら、そんなのすごく観てみたいってことです。モーニング娘。が「日本の未来はWow Wow Wow Wow」とか、そんなん言いながら踊っていられる脳天気な時代がまた来てくれたらいいんだけど。

注)このエントリは雑誌「ケトル VOL.05」(2012年2月号)に寄稿したテキストを再掲載したものです。

宗教っぽい顔

こないだブルーハーツの昔のビデオを観ていた。そして気づいたのは、ベースの河ちゃんの顔がバンド後期になるにつれどんどん宗教くさくなっていくね、ということでした。初期はまあ凡庸だけど普通の顔してる。それが解散間際には、あの熱心な信仰を持っている人特有の、顔に1枚膜をかけたような顔になる。切ないことです。信仰を持つことはもちろんぜんぜん悪くないけど、あんな最高のバンドにいるんだからロックンロール一択でいいじゃんかって思った。

ちなみにブルーハーツで一番好きな曲は「月の爆撃機」です。あの曲をでかい音で聴くたびに孤独というものに正面から向き合うことになる。

犬を飼っていた(2)

何の話かって言うとどこにでもあるような犬の話なんですけど。子供の頃から一緒だった大(アイヌ犬)は、おれが高校のときに死んだ。15年くらい生きたからまあ大往生だったと思うけど。でもそれからやっぱり家に何かが欠けたような感じがあって、2、3年経った頃、家族の誰からともなくまた犬飼おうって話になった。

大は外につなぎっぱなしであんまりかまってやれなかったから今度は室内犬にしようってのは両親と話して決めた。どんな犬がいいかね、ビーグルとかどうよ、いやそういう犬はうちには上品すぎる気が、とか話したりして、どっちかっていうとパグみたいなぶちゃーっとした子がうちにはお似合いなんじゃないのって。それで結局パグのプーがうちに来ることになった。

仔犬のときはほんと手のひらに乗るくらいちっちゃくて、1日20時間くらい眠ってて。最初寝るときはケージに入れてたんだけど、あまりに寂しがるので結局人と一緒の布団で寝ることになったり。枕元で寝てるとあいつブースカいびきかいたりしてうるさかった。

その頃おれは大学生でわりとヒマだったから、プーと一緒に近所でやってた犬のしつけ教室っていうのに通ったりもしたのだった。散歩のときにちゃんと飼い主と並んで歩く訓練したり、待てとかおすわりとか教えたり。車に乗っけて近所の土手に行って、いっぱい走ったりしたのも楽しかった。

おれが実家を出て東京に引っ越してからは、老夫婦の相手にちょうどいい感じ。甘えっ子で手がかかるところも含めて。たまにおれが実家に帰ると、最初きょとんとした顔して、おれのことがわかったとたんに照れ隠しみたいにはしゃぐのだった。「忘れてないですよ! 帰ってくるの待ってましたよ!」。両親が甘やかしたおかげで、しつけ教室で覚えたことはすっかり忘れてしまってたけどまあいいかって。

晩年は目も悪くなって、耳もたぶん聞こえてなくて、おむつも手放せなくなっていた。おむつは、赤ちゃん用の紙おむつに父親が尻尾用の穴を空けて履かせていた。おれが実家に帰っても、その頃はもうわかってるんだかわかってないんだか。寂しいけどなでてやるくらいしかできず。結局数年前に死んでしまって、実家の両親はもう犬は飼わないんだって言ってる。犬を飼っても自分たちのほうが先に死んでしまうから。それで結局実家には穴の空いた紙おむつだけがたくさん残ったままになってる。

1988年の自分との対話

おれが高校生の頃はちょうどレコードからCDへの移行期だったんだけど、まだ自分用のCDプレイヤーは持ってなくて、だから聴きたい音楽はもっぱら貸しレコード屋で借りて、レコードからカセットテープに録音してた。金なかったし、レコード1枚買うなら、そのぶんレンタルで借りて10枚聴きたいって思ってて、学校の近くの貸しレコード屋で毎週何枚かアルバム借りて、カセットテープに録音して、SONYのダブルラジカセで繰り返し繰り返し聴いていた。今、音楽をダウンロードで買ってるとかっていう状況を当時の自分にどうやって伝えたらいいのかって思う。

「おい、未来から来たおれだけど」
「え?」
「未来のおまえだよ」
「え? ほんとに?」
「うん」
「そうかー」
「そうなんだよ」
「うん」
「ていうか最近どうよ」
「ええとね、いろいろ調べてるんだけど、チェルノブイリがやばい」
「あー」
「日本の原発もやばいと思う」
「あー」
「37機も建ってるんだよ」
「その件については、うーん、何から伝えればいいかな……」
「こないだ広瀬隆の本読んだんだけどね」
「まあいいや、今日はその話じゃなくてさ」
「うん」
「おまえレコード聴いてるじゃん」
「うん」
「あれそのうちなくなるから」
「あー、CDになるんだよね。まだCDプレイヤー持ってないけど」
「いや、そういうことじゃなくてね」
「ん?」
「おまえ貸しレコードとかすげえ使ってるじゃん」
「うん。こないだ借りたブルーハーツの3rdアルバムものすごくいいよ」
「あれもう借りなくてよくなるから」
「そうだよね。レコードかさばるし、CDのほうがいいもんね。収録分数表示されて」
「ああ、そういえばおれ収録時間とか計ってたねえ……」
「うん、レコードだとストップウォッチで時間計りながら1回聴いてからじゃないと、何分テープに録ればいいかわかんないから。CDだったらあらかじめ分数わかるから便利だよね」
「ええと、まあそうなんだけど、なんていうか、レコードがなくなるっていうのはそういうことでもなくてさ」
「え?」
「そのうちCDもなくなるんだよ」
「え?」
「いや、おれの時代だとCDもなくて大丈夫なの」
「音楽がなくなるの?」
「音楽はなくならないよ」
「レコードもCDもなかったらどうやって音楽聴くの?」
「ダウンロードするんだよ」
「ダウンロード?」
「ええとさ、パソコン、いや、この時代はマイコンだっけ。それはわかるよな?」
「98とかそういうやつ?」
「うん、まあそういうやつ。それで音楽が聴けるようになるの」
「どうやって?」
「CDのデータだけをコンピュータに入れて」
「データ?」
「ええと、とにかく曲をパソコンに入れとくことができるようになるんだよ」
「へー」
「だからパソコンだけあればいつでも好きな曲が聴ける」
「んー」
「なによ、納得いってない?」
「だってパソコン持ってないし、ラジカセで聴けばいいんじゃないの?」
「いや、まあそうなんだけどさ、パソコンがあれば、レコードとかCDとかなくても、曲だけをインターネットから持ってくることができるのよ」
「インターネット?」
「そうかー、インターネットの説明必要かー」
「なんなのそれ?」
「ええと、あれだ、インターネットっていうのは……まあ電話だよ」
「電話?」
「電話線を通って曲が届くの」
「え?」
「パソコンを電話につなぐと、電話線を通って曲がパソコンの中に入るのよ」
「へー! すごいねそれ!」
「すごいんだよ」
「うんうん、聴きたい曲なんでも聴けるの?」
「んーと、なんでも聴けるわけでもないんだけど」
「えー」
ソニーの曲とかはあんまし聴けない」
「えー、CBSソニーもEPICソニーも?」
「うん」
「それはつまんないね!」
「だよな。おれもそう思うわ」
「でもそのほかの曲は聴けるの?」
「だいたい聴ける」
「有料?」
「うん、1曲150円とか200円とかそんくらい」
「へー」
「どう思う?」
「んと、10曲入りのアルバムを2800円で買うよりは安いね」
「そうだね」
「でもパソコンで聴くってことは、ウォークマンでは聴けないってこと?」
「お、そこ気付いちゃったか」
「いや、“ウォークマン”じゃなくてもいいんだけど」
「あー、おまえのそれAIWAのやつだもんな」
「そうなんだけど、その150円で買った曲は、このポータブルのカセットプレイヤーだと聴けないの?」
「いや、カセットじゃないけど外で聴くのはできるよ」
「そうなの?」
iPodっていうのができるんだよ」
「あい……ぽっど?」
「ええと、ウォークマンより小さい機械に何万曲も入れておいて、好きなときに好きな曲を聴けるようになるの」
「何万曲!?」
「そう、何万曲」
「それ何百万円もするんじゃないの?」
「そんなにはしないよ」
「だって1曲150円でしょ?」
「んー、CDはどっちにしろ何千枚も持ってるから、それをiPodに入れるだけでいいんだよ」
「何千枚???」
「うん、何千枚」
「どういうこと!?」
「いや、おまえ大人になって働きはじめたら、給料のほとんどをCDにつぎ込んで、何千枚もCD買うの。それをパソコンにぶち込んで、iPodに入れて毎日聴くんだよ」
「え? そんな大人で大丈夫なの?」
「大丈夫、じゃないかもしれないけど……」
「んー」
「とにかくパソコンとiPodで音楽が聴けるようになって、ラジカセとかあんまし使わなくなるのよ」
「なんかよくわかんないけどすごいね」
「なんかよくわかんないけどすごいだろ」
「じゃあレコードはなくなるんだね」
「いや、それがなくなりもしないんだけどさ……」
「え?」

そんな感じの2012年です。