上京物語

おれはずっと地元の公立校に行ってて大学も札幌の実家から通ってて、家を出たのは就職で上京決まったときでそれが初めての一人暮らしだった。東京で必要な生活用品やら買いに母親のクルマに乗せてもらって2人でホームセンター(たぶんホーマック)に行ったの覚えてる。上京の1、2週間前だったと思う。

一人暮らしに何が必要かもあんまりわかってなかったけど、とりあえず安いパイプベッドと安い寝具5点セットみたいなやつを買って、台所用品はフライパンと厚手の雪平鍋とまな板とか包丁とか最低限用意した。冷蔵庫は部屋に備え付けの小さいのがあったからいらなくて洗濯機だけ東京で買うことにした。テレビなんかはそのうち余裕ができたらという感じ。ホームセンターの会計は母親が払ってくれた。

ほかに引っ越しの荷物といえば洋服と少しの本とCDくらいだった。これら全部を高さ1.8mくらいのロッカーみたいな箱に突っ込めば単身引っ越しパック的なやつで東京まで格安で運んでくれるとのことで、果たして荷物は運ばれて、おれも飛行機で東京に着いて、22歳のときに初めての一人暮らしと東京生活が始まった。

最初に借りた部屋は新中野の鍋屋横丁に近い家賃7.3万円の1Kで、17平米だから広くはなかったけど特に不満はなかった。家賃は高めだったけど仕事上早朝深夜の出入りが多いから防音しっかりした鉄筋の建物がいいかなと思ったのと仕事上新宿にチャリで通える距離じゃなきゃなんなくてそこに決めた。

建物の名前覚えてたから検索してみたら今もあったわ。セレーネNA-1というマンション。意味がわからない。A4くらいの小さいシンクと小さい電熱器1つしかないキッチンでがんばってカレー作ったりしてたな。炊飯器は大学時代の友達にもらったやつ。狭いユニットバスは風呂が狭いぶん部屋が広くなってるんだからラッキーくらいに思ってた。鍋屋横丁の丸正っていうスーパーによく行ってた。

東京の生活に慣れてきたのはいつ頃だったかね。結局テレビとビデオデッキは当時の彼女と秋葉原に行って買ったはず。おれは初めて降りた秋葉原の電気街に興奮してせっかく秋葉原だし何店舗も回って価格を比較してから買わねばと意気込んでいたけど、彼女はどこで買ってもたいして変わんないし早く帰ろうよという顔をしてた気がする。

そういえば確か新卒1年目の夏のボーナスがわりとたくさん出て、その金で初めてパソコンを買ったんだった。Performa757とRolandの音源揃えて当時は自作の曲を打ち込みで録音したりしていた。TASCAMの4トラックカセットMTRでミックスして、できた曲は特に誰にも聞かせなかった。

新卒で就職した先は日本マクドナルドという会社で、大卒の社員採用だったからそのうち本社勤務になるはずで。でも最初は全員アルバイトといっしょに店舗勤務から始めて仕事を覚えていくという仕組みでそれはすごく正しいなと納得した。もともとマクドナルドでバイトしてたわけでもないし飲食業界に興味があったわけでもないので入社するまでまったく何も知らなかった。

就職氷河期と呼ばれ始めた時代に何もできない自分を採用してくれたのでありがたいなと思って入社した。生活費が稼げればなんでもいいと思っていたし自分の食い扶持を自分で稼ぐことが一番重要だと思ってた。そんなんだから仕事に対するモチベーションは低いままで職業人としての将来像など描けるはずもなくて当時の上司や会社には迷惑をかけたと思う。意識の低い若者だった。

当時の職場は社員も月ごとにシフトが組まれてて早番の日は朝6時までに出社する。遅番の日は24時すぎに一応定時が終わるという感じだったけど、そのあと残業していろいろやることも多かったし新人がタクシー使えるわけもないので自転車通勤はマストだった。白いママチャリで都庁の前を爆走してた。

遅番の勤務が終わって朝方まで残ってると上司がたまにラーメン食いに行くかと誘ってくれて参宮橋の道楽というラーメン屋に行った。でかい寸銅鍋で豚骨をグツグツ煮ている店。「麺は残してもスープは残さず飲みましょう」という貼り紙があった。札幌では味噌ラーメンしか食べたことなかったおれの初めてのとんこつ体験である。とても美味しかった。

今思い出すと母親とホームセンターに行く前はベッドも布団もわざわざ札幌から送らなくても東京に行ってから買えばいいんじゃない?とか考えてたような気がするけど、引っ越し直後の慌ただしい中そんなの絶対無理だったわ。引っ越しの日はガスの開通に立ち会うくらいで、あとは近所の中華屋で晩メシ食べたら終わってしまう。

近所の中華屋というのは新中野の尚チャンラーメンのことで、今もあるみたいだしなんなら今もわざわざ行きたいくらいに好きだった。当時店員の兄ちゃんが鍋振りながら突然「♪オンリーユー 君がー!」とTOKIOの「LOVE YOU ONLY」を歌い出して、すぐにもう1人の店員が「♪君が」ってコーラスしてたの覚えてる。

あの頃は若くてバカだったから自分のことしか考えられず自分のことさえわかってなかったけど、あの日のホームセンターで母親はどんな気持ちだったのかなって、ほぼ30年後の今になってやっと考えたりする。22年育てた息子が巣立っていくのとかそこそこ感慨深いものがあったのかもしれない。そういうのぜんぜんわからなくて自分のことで精一杯だったな当時。