MOK Radioについておれが一番に思い出すのは毎回ラジオの本番が終わったあとそのまま反省会と称してたくさんお酒を飲んで、そんなんやってるうちに朝が来て、配信スタジオとして使ってた神保町の津田大介の事務所を出て、みんなばらばらに駅に向かうときの朝の空気です。
濃ゆい感じでやってたのはたぶん2003年から2006年までの3年間くらい。隔週金曜24:00から3時間の生配信でリスナーは毎回300人くらいだったと思う。今のインターネットの感じからすると300人って少ないけど20年前はそういう規模感だったしそれで十分楽しかったのよ。2006年に定期配信が終了したあとは数年ごとに不定期で何回かやったくらい。最後は2013年の10周年イベントだっけな。そのあともやったかな。記憶っていうものがもうほとんどないからわからないけど。
そもそもMOK Radioがどんなふうに始まって、どういう内容だったかみたいな話は実験と津田っちが昔書いた記事がありました。どこかにもっとなんか書いてた気がするけど音楽配信メモもう見れないからわからんな。
実験4号が思い返すMOK Radio
〈MOK Radio〉管理人が語る、ネットラジオの作り方(前編)
〈MOK Radio〉管理人が語る、ネットラジオの作り方(後編)
MOKの成り立ちについてかいつまんで言うと当時おれが音楽について書いてた個人サイトがあって、その読者が集まるオフ会があって、そこに来ていた津田大介とおれが仲良くなって、津田っちの発案でオフ会に来てた実験さんにも声かけてネットラジオやろうぜってことになった、はず。津田っちの事務所とおれの職場が徒歩5分くらいのとこだったっていうのもデカい。
2003年にMOKを始めたときのメンバーは津田実験おれとsuさんっていう4人でやってて、そのうちsuさんが来れなくなって3人固定になって、たぶんそこからゲスト呼んだりしてちゃんと番組っぽくやろうぜって感じになったはず。レギュラーコーナーとか作ったりしてね。「津田大介の音楽配信講座」「アナタにそっとラブレター」「論破ルーム」「タクヤの天体観測」「MOKストリート」「誰んずウォーカー」みたいなコーナーがあって、リスナーからメールもらったりしながら毎回手探りで配信してた。今思うと素人が集まってラジオごっこをしてるだけなんだけど、でもいつもわいわい楽しくやってた気がする。
あとパーソナリティ3人に加えて、初期からディレクターとしてキョウオカくんも参加していて、とはいえ行き当たりばったりの生放送でそんなきっちりディレクションできるわけもないので、我々みんなラジオにかこつけて集まりたかっただけかもしれない。でも当時キョウオカくんが放送中ホワイトボードに小ネタ書いてくるのがいちいち面白かったの覚えてる。深夜ならではの謎のグルーヴがあった。
MOK始めたとき津田っちはまだギリギリ20代かな。そしてまだ何者でもない無名のライターだった。当時はTwitterもないしtsudaってもいない。そして今からは想像できないけど特にトークスキルがあったわけじゃなかった。だからその後の彼がテレビやラジオで流暢に話してたり今ポリタスTVやってたりするのはMOKの経験がデカいと思うんですよ。津田大介はMOKリスナーが育てたと言っても過言ではないね。
そして実験さんはトークが抜群に面白いだけの一般男性です。音声だけのネットラジオだと今誰がしゃべってるかわかんなくなる瞬間がたまにあって、そういうときに「あ、○○さんはそう思うんですね」「それについてどうですか、○○さん」みたいにいちいち名前を呼んどく気配りがすごかった。「実験メソッド」と呼ばれていました。実験がいなかったら何もかも無理だったと思う。
2003年当時のインターネットのことなんてみんなあんまり覚えてないかもしれないけど、あの頃まだSNSもないしブログもなかった。回線だってISDNとかADSLとかそんなんで動画配信はぜんぜん一般的じゃなくて、音声だけならまあなんとかいけるって時代。ネットラジオみたいなのやってる人も少しはいたけど著作権無視して勝手に音楽流すみたいなのが多くて、そんな中おれたちは合法的に音楽が流せるネットラジオをやりたいと思ってた。そのためにアメリカの有料サービスに登録してJASRACにも申請して、著作権持ってるレーベルや事務所にお願いして、最初にかけた国内メジャーアーティストの楽曲はTHE BOOMの「光」って曲じゃなかったかしら。
なぜこの曲が流せたかというとTHE BOOMの所属事務所であるファイブ・ディーに連絡してMOKでかけていいよと許諾してもらったから。その豪胆な判断をしてくれたのは当時ファイブ・ディー社長の佐藤剛さん。こないだ6月20日に亡くなったんだよ。剛さんはおれがやってた個人サイトも見てくれてて、だから話が早かった。そういうアンテナも鋭い人だった。CCCDが出てきたときにおれが剛さんにインタビューした記事、WebArchiveで読めるからよかったら読んで。
その後も剛さんにはすごくお世話になってて、直近だと2019年、津田大介が芸術監督を務めたあいちトリエンナーレで「1969年の前川清と藤圭子〜昭和を彩るロックとブルース〜」という企画をプロデュースしてもらった。おれが音楽部門を担当してたから剛さんにお願いしてやってもらった。純烈をはじめとする出演アーティストといっしょにステージにも上がってもらって、あの場で剛さんを知った人も多かったんじゃないかね。
なんか話が逸れてしまったけど、もう時間ないからまとめよう。そんなこんなでひさびさにMOK Radioやりますって告知です。このあとわりとすぐ!