トポデザインズのウエストバッグ
半年くらい前に買って重宝してるバッグを紹介します。このTOPO DESIGNSのウエストバッグだいぶいい感じ。2007年にできたコロラドのメーカーらしくて、おれはこのダックカモ柄買ったけど、何がいいかってそんなでかく見えないのにMacBook Pro 13inchがすっぽり入るのがありがたい。楽天とかで「TOPO DESIGNS HIP PACK」で検索すると出てくると思う。
Hip Pack | Topo Designs - Hip Packs Made in Colorado USA
小沢健二21世紀客演記録
スチャダラパー「スチャダラ2010〜オールスター感謝祭〜」(2010年5月9日)
東京スカパラダイスオーケストラ「トーキョーナイトクルージング」(2012年9月30日)
- モノローグ「京浜港と音楽」
- ぼくらが旅に出る理由
- 今夜はブギー・バック
スチャダラパー「新木場ジャンボリー」(2012年10月13日)
- それはちょっと
- ドアをノックするのは誰だ?
- 今夜はブギー・バック
真城めぐみ「MASHIROCK FESTIVAL 2013」(2013年9月29日)
- いちょう並木のセレナーデ
- 愛し愛されて生きるのさ
笑っていいとも!「テレフォンショッキング」(2014年3月20日)
- ぼくらが旅に出る理由
- さよならなんて云えないよ
- それはちょっと
- ドアをノックするのは誰だ?
- 今夜はブギー・バック(CM中)
東京スカパラダイスオーケストラ「Live at Budokan 〜The Last〜」(2015年3月28日)
- モノローグ
スチャダラパー「華麗なるワンツー」(2015年4月11日)
「風立ちぬ」堀越二郎の空洞
「風立ちぬ」すごく面白かった。二郎のクズっぷり推せる。あれだけ虚無い(きょむい)人物を主人公に据えつつ前向きな感動みたいなとこに持っていくのがすごかった。
ただ、二郎が菜穂子に対して薄情だとか、戦争産業への従事に伴う葛藤がないとか、そのあたりの違和感はすでに各所で語られていて、それは二郎が飛行機に夢中になりすぎてほかのことが目に入らないせいだって捉えられてるみたいだけど、自分はなんだかそういうことでもない気がしたんですよね。
二郎はすごい飛行機を作ることさえも実はどうでもいいと思ってるんじゃないかと思う。ほかにやることないからやってるだけ。ただ流れていくだけの人生を埋める暇つぶしで、どうせ暇つぶしならせめて美しく飛んだほうがいいだろうっていうくらいのもんじゃないのかしら。
菜穂子のことも自分のこともどうでもよくて、菜穂子の死にも自分の生にも興味がない。だからこそあの映画は、これ見よがしに「生きねば。」なんていう空虚なキャッチコピーを掲げるしかない。もとから生きる意志がある人にわざわざそんな言葉はいらないわけだし、現実から目を逸らして前向きっぽいことを言ってみることで、まともな人になった気分を味わいたいっていうのはよくあることですし。
二郎の抱える空洞こそがあの映画の独特の空気を形作っていて、その空洞を感じる人とそうでない人とで、作品の見方はだいぶ変わってくるだろうなーと思いました。
ねこと暮らしていた
ねこと一緒に暮らしていた。1990年代の半ばから数年間だから、もうずいぶん前のことだけど。
名前はにゃりん太。「忍者ハットリくん」に出てくる影千代(忍者猫)が「にゃりーん!」て言うのがイカしてたから、そこから名前を拝借しました。その前はトトロって呼ばれていたらしかった。
トトロって呼んでたのは当時近所に住んでた人たちで。トトロは地域のボス猫で、うちに来る少し前からいろんな人にかわいがられてたみたい。真っ白で顔と背中に茶色のブチがある、とてもきれいなねこ。
でもある日にゃりん太はうちにやってきた。通りに面したアパートの外階段を上がったところの2階にある、うちの玄関の前になぜかちょこんと座ってた。「いやいや、うちでは飼えないんだよ」って伝えてみたけど、にゃりん太はずっと玄関の前にいて、しょうがなくドアを開けたらそのまま物怖じもせずに家に入ってきて一言「みゃー」って鳴いた。その頃はまだ半野良のやせっぽちで、しょうがないから牛乳を飲ませて、ねこ缶を買ってきて食べさせて、そのときを境ににゃりん太がうちの家族になった。
にゃりん太と暮らしてた毎日は本当に素晴らしかったな。おれが外から帰ってくると毎日玄関の前で待ってる。「ただいま」って言って一緒に家に入って、ねこ缶とカリカリをやって、落ち着いた時間を一緒に過ごして、夜遅くなるとにゃりん太は出かけていく。集会とかパトロールとかいろいろ忙しいみたいで、こっちは「お務めご苦労さん」って言って送り出す。ちょっとしたら帰ってきて玄関の前で「みゃー」って鳴くから家に入れて、一緒の布団に入って眠る。朝は一緒に起きて出かける。そんな感じの毎日でした。
休日の昼はのんびりしてごろごろして「にゃり、散歩行こか」って言って一緒に家を出て。近所をぐるぐる散歩して、近所の神社で狐の像や木の枝に登って遊んだり、一緒に家に帰って水を飲んだり。
にゃりん太がうちを選んで来てくれたことが誇らしくて、にゃりん太に恥ずかしくない生き方をしなきゃなんて本気で思ってた。なんていうか、ねこを飼ってたわけじゃなくてまるっきり対等で、ただ一緒に暮らしてただけだった。自分にとっての輝かしい日々みたいなものがあるとしたら、にゃりん太が自分を慕ってくれて一緒に過ごしたあの頃のことだと思う。
だけどにゃりん太はある日交通事故であっけなく死んでしまった。あの注意深いにゃりがどうして?って思ったけど、世界の仕組みは本当にわからない。
にゃりん太はおれなんかよりずっと立派で、賢くて、世の中のことをわかっていて、たくさんの仲間に慕われてた。あのやわらかくてあったかいけもののことを、おれは心から尊敬していた。にゃりん太が死んでからずいぶん経つけど、今も思い出すと胸が詰まる。おれもいつかにゃりん太みたいになれたらいいなってずっと思ってる。
Apple信者
2008年の頭にMacにスイッチして、それ以来何が快適かって、コンピュータのことを考えなくてよくなったのが最高だなって思う。それまではスペックとかデザインとかいろいろ見比べながら何年かごとに次のパソコンどれにしようかって考えてて、そういうの楽しい人はいいんだろうけど、おれの場合はそこから解放されて今すごくラクだしすっきりしてる。今のMacのスペック物足りなくなったらそんときの最新機種に買い換えればいいだけっていうのがいい。iPhoneも同じで、ガラケー時代に携帯の機種をいろいろ調べて、機能を比較したりしてたのとかもうわずらわしくて、そんな時代に戻りたくないって思うわ。
菊地成孔が山下達郎の音楽を指して「街中どこに行ってもかかってる。それはファシズムなんだけど全然息苦しくならない。達郎が全部埋め尽くすならいいよ」て言ってたけど、まさにそういう感じ。Apple帝国に埋め尽くされるならそれでぜんぜんいいやって思える。
願わくばそれがおれたちのSONYだったらよかったのに、って思うくらいには日本が好きだったりはするけど、それはもう言ってもしょうがないことだしなー。
いきものがかり「風が吹いている」について
いきものがかりの「風が吹いている」がすごいのは、やっぱり最後の「La La La…」っていうコーラスのところだと思う。あれを入れるのは相当な勇気がいるでしょ。作り手が「これは壮大なスケールの曲ですよ」ってことを自ら宣言してるわけだから。普通だったら気恥ずかしくてそんなことできないし、さりげなく作った小品ですって言ってたほうがどんだけラクか。
でも今のいきものがかりの3人にはそれを引き受ける覚悟と勇気があって、国民的な名曲を作ろうっていう馬鹿みたいな目標を掲げて、本当にあの名曲を作ってしまった。実際、曲自体もあの壮大なコーラスに耐えるだけの強度を持ってて、紅白歌合戦のクライマックスで歌われて、老若男女を感動させてるっていう事実。それをあの、どっから見ても普通の姉ちゃんと兄ちゃんたちが成し遂げてるっていう奇跡。ほんとにすごいと思う。