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ゲーオタ時代の個人的回想

思い出

最初のゲーム体験は任天堂のテレビゲーム15だったと思う。従兄弟か誰かが持ってて貸してくれたんだよね。その後クリスマスプレゼントにパックリモンスターをもらって。これはバンダイが出してたパックマンのパチモンゲーム。ハイスコアが出るたびノートに書いてたんだけど、最初の頃はやるたびにハイスコア更新するから、いちいち書くのがすごくたいへんだった。

そして小4くらいのときにゲーム&ウォッチのファイアを買ってもらう。死ぬほどやったなー。100人助けるごとにちょっとだけスピードが遅くなるのを発見して、兄ちゃんに「100人ごとにちょっと遅くなるよ!」って何度も教えて「わかってるよ」と冷たく言われたのも今ではいい思い出。

ファミコンは買ってもらえなくて友達んちでやった。床屋のかっちゃんちでデビルワールドをやらせてもらった。飼い犬のノキ(軒下で拾ったから)が家の中でおしっこして、それ踏んづけて靴下がじゅわーっとあったかくなった。

スーパーマリオはとっちの家でやった。2Pモードでやると、おれいきなり穴に落ちて死んで涙目。デデッデデデデデ。とっちはワープとか使って8-4まで一気に行って、それぼーっと見てるのすげえヒマだった。ファミコンってあんまりおもしろくねーな、と思ってた。
中学のときはドラクエ出てたけど興味なし。てつきんの家でてつきんとこうじがポートピアやってるの見ながらぼけーっとしてた。んで、高校生のときに誰かが学校にゲームボーイテトリス持ってきて、同じクラスのらっぷちゃんにやり方教えてあげて。大学入ってかららっぷちゃんとつきあい始めて彼女の家で初めてスーファミをやった。そこでスーパーマリオワールドやってマリオの面白さに目覚めたんだった(その後現在まで計5回オールクリアしてる)。

同じ頃に北18条の汚い居酒屋で飲んでたらジミーがファミコン持ってきた。そこは親父が常に酔っぱらってて、ケミカルな焼酎をお茶で割って飲んで、お会計頼むと「んー、10人だから10000円ね」っていうようなどうしようもない飲み屋だったんだけど、大学のときのおれはよく友達とそこで飲んでて、ファミコンの面白さを知ったのはジミーのおかげ。ジミーは本名じゃなくて多治見市出身だからジミーって呼ばれてたんだけど。

ジミーのファミコンにはドラクエIIIが刺さってて、とりあえずそれを借りてやったのが初のRPG体験。取説とかなんもないから、まずは魔法を覚えるたびにノートにメモして「メラ=火の魔法」「ギラ=これも火?」とか書いて整理していた。「メラ<メラミ<メラゾーマ」の変化を覚えて感動した。最後まで悩んだのは「ザオラル」。使っても使っても何も起きなくて、頭を抱えたものだった。

あとドラクエIIIを始めるときに、おれは生まれて初めてのRPGだからちゃんとやろうと思って、A4のコピー用紙にえんぴつで地図を描き始めて、ロマリアの地形とか洞窟の位置とかがんばって描いて、でも冒険を進めていくごとにA4の紙じゃ足りなくなって。で、しょうがないから紙を増やしながら進めていって、紙を32枚くらいつなげたときに「うわ!これ世界じゃん!」て気づいたときの衝撃は今も鮮やかに心に残っている。

まあそんなこんなでゲームに目覚めて、そこからはゲーオタ時代まっしぐら。ファミコンスーファミゲームボーイディスクシステムメガドライブも買って、毎晩ビール飲んでオーザック食べながらゲームやるのが至福のとき、みたいな日々がはじまるわけです。ちなみに札幌に住んでたからビール冷やすのに冷蔵庫はいらなかった。窓の外に出しておけば冬場はいつもキンキンに冷えていた。

んで就職して東京に引っ越してきて、中野坂上のローソンでNintendo64を予約して買った。64は革命的にすごかった。今でもゲームハードの中で64が一番好き。当時いちばんやったのはウェーブレース64。毎晩深夜に電源入れて、波を読みながらちょっとずつハイスコアを縮めていくのが楽しくて楽しくて。

ずっと任天堂派だったけど、PlayStationもいつだったかな、ストZERO出る頃にやっと買った。その頃は無職だったからずっとゲームばっかりやっていて、無職のゲーオタって相当やばいなーって自分でも思ってて、そんなときちょうど新聞の求人欄にメディアワークスという会社の求人情報が載ってて、なんかゲーム雑誌編集部で働けるっていうんで受けに行って、そこでおれは編集のイロハを学ぶことになるのだった。25歳のとき。

面接では「最近やったゲームは?」て聞かれて「FF7です」て答えた。「どう思った?」て聞かれたから「ゲームとしての面白さはもちろんですが、ロード時間の短さや洗練されたインターフェイスなど、ユーザーに快適に遊んでもらおうという姿勢がすごいと思います。このクオリティがPlayStationの標準になるといいな、と思います」みたいなことを言った気がする。なんなんだ。

そんで電撃PlayStationという雑誌の編集部にもぐりこんで、そこからはもうひたすらゲームをやってページを作る毎日。家に帰らず働いて、編集の仕事はそこでだいたい覚えた。体力的にはキツかったけど楽しかったなー。「どこでもいっしょ」をメディア上で最初に「どこいつ」て略したのは自分です。その後、電撃王ていう雑誌でドラクエ7の攻略担当やったりして、それから電撃オンライン編集部に異動になってウェブでいろいろやりはじめることになる。

ちなみに「ほ、ほーっ、ホアアーッ!! ホアーッ!!」っていう記事は、おれが編集担当してました。Xbox信者が「痴漢」て呼ばれているのも、おれが在籍してた当時の電撃オンラインの記事のせいです。いろいろ申し訳ない。

そして会社を辞めて、ゲーム業界から離れたのが2004年のこと。それ以降はすっかりゲームやらなくなってしまったけど、まあ仕事してる大人がRPGクリアしたりするのはなかなかたいへんだしね。今はたまにGBAトルネコ2引っ張り出してやるくらい。できれば老後はゲームやりまくりたいと思っています。