サザンオールスターズ「東京VICTORY」雑感

サザンオールスターズの「東京VICTORY」っていう曲を最初に聴いたとき、すごく驚いて、いくらなんでも滅茶苦茶だろうと思った。

時を駆けるよ Time goes round
変わりゆく My hometown
彗星(ほし)が流れるように
夢の未来へ Space goes round
友よ Forever young
みんな頑張って
それ行け Get the chance!!

どこに驚いたかというと、日本語と英語を織り交ぜた軽快な展開の中に突如ぶちこまれる「みんな頑張って」というフレーズ。普通はありえないでしょう。「みんな」っていう不特定多数に向けたメッセージの内容が、よりにもよって「頑張って」とは。どういうことなの。凡庸すぎるし大ざっぱすぎる。そんなの何も言ってないに等しいじゃないか。

そもそも日本語のロック音楽の歌詞で「がんばろう」とか「がんばれ」っていうメッセージを伝えるのは相当に難しいことで、まともな感性を持った詩人だったら、誰もが避けて通りたい難関なはずなんです。

THE BLUE HEARTSが80年代に「人にやさしく」っていう曲で「ガンバレ!」って歌っていたけど、あれは“気が狂いそう”な現実の中、“やさしい歌”を求める自分に向けて絞り出すように叫んだ「ガンバレ!」だったからこそギリギリ成立していたわけで。その後、90年代のJ-POPシーンで「負けないで」とか「あきらめないで」みたいな応援ソングが流行っていたけど、当時の自分は「根拠なく脳天気にそんなこと言われてもな」と思って醒めた気分で聴いてた記憶がある。人に何かを言うなら、中島みゆきの「ファイト!」くらいの覚悟で言ってくれよって。冷たい水の中をふるえながらのぼってゆけ。

で、サザンの「東京VICTORY」。最初こそひどく驚いたけれど、よくよく聴いて納得した。これはもうどうしようもなく「みんな頑張って」という身も蓋もない言葉を選ぶしかなかったんだとわかる。なんつっても桑田佳祐なんだから、やろうと思えばもっとうまい比喩とか言葉遊びとか駆使して、いい感じの歌詞っぽい歌詞に仕上げることはいくらでもできたはず。でもそれじゃダメだった。桑田佳祐が今あえてそのまんまの言葉で「みんな頑張って」と歌うのは、「頑張って」という直接的な言葉を必要とする「みんな」が実際に存在してるからで、それが今のこの国の現状なんだと思う。

サザンは国民的なロックバンドで、それは言い方を変えると大衆的っていうことで、大衆の欲望に寄り添って、時代の空気をつかみながら彼らが求めるものを提供していく。桑田佳祐という人はそれを自覚的に、自分自身のマニアックな嗜好と高いレベルで折り合いをつけながらやり続けてるところがものすごいわけです。こんなふうに歌詞の一節についてぐだぐだ考えてる自分みたいなひねくれたリスナーじゃなく、「頑張って」って言われて素直に「よし、頑張ろう!」と思えるような人たちに向けたメッセージをきっちり打ち出すことができる。しかも強いメッセージを伝えながらも、言葉が勝ちすぎていびつになることはなくて、音楽として心地よく聴けて、だから素直に受け入れられる。

ただ、もちろん今の「東京」に「VICTORY」なんて言葉がぜんぜん似合わないという問題はあって。この曲は「TOKYO, The world is one!! We got the victory」というフレーズで終わるけど、今のところ世界はひとつじゃないし、我々はどんな勝利も手にしていない。VICTORYとか言う前に解決しなきゃならない課題が山積みで、それでも無理やりにでも希望を掲げなきゃならなくて、だからこの「東京VICTORY」という曲は、今の自分にはやっぱり少し空虚に聞こえてしまう。だからこそ高らかに勝利を歌って気を紛らしたいって気持ちもあって、その両端をいつまでも行ったり来たりしてるのだけど。