後藤真希について考えてる

後藤真希についてぼんやりと考えてる。10年前の僕らは胸を痛めて「ザ☆ピ〜ス!」なんて聴いてた。そしてモニタに映し出される彼女の非凡な存在感に、ひたすら驚かされていた。

やっぱりあの頃の彼女は特別だった。だからこそ、ハロー!プロジェクト卒業後の活動にどうにも納得いってなかったのも事実で。アイドルとしてのずば抜けた身体能力と、持って生まれたカリスマ性、そしてその存在自体が生み出す光と影。そういう魅力がほとんどこちらに伝わってこないことがもどかしかった。

だいぶキモイ感じになってるけど、続けますね。

ソロになって、エイベックスに移籍して、R&B路線みたいなことをやり始めて、まあ正直よくわかんなかったです。コンセプトもパフォーマンスも、別に後藤真希がわざわざやんなくてもいいような感じのものだったから。だからって、ハロプロ時代のつんく♂のプロデュースがベストだったかっていうとそんなこともない。つんく♂は彼女のことが好きすぎて、たぶんそれ故にソロとしての彼女を的確にプロデュースすることができなかったんだと思う。ていうか後にも先にも、後藤真希をまともにプロデュースできた人はいない。松本人志には浜田雅功がいて、宮本茂には岩田聡がいて、マイケル・ジャクソンにはクインシー・ジョーンズがいた。でも後藤真希には誰もいなくて、それが彼女の不幸だった。彼女のずば抜けた才能に誰も追いつけなかった。

いい曲ももちろんたくさんあるけど、本人の魅力が圧倒的すぎて、どんなプロデューサーもサウンドクリエイターもその才能を翻訳し続けることができなかった。彼女にしかできない大切な仕事があるはずなのに、誰も彼女にそれを与えることができなかった。本格派のR&Bとか良質なポップスとかそんなもんやってても仕方ないのになーって思ってました。

弟は逮捕されて、母親を事故で亡くして、女性誌で「決意のセミヌードグラビア」なんてのをやったりもして。そして昨年末のライブを最後に活動休止。栄光を極めたトップスターが辿る悲劇のストーリーなんて、そんなのぜんぜん見たくないのに。そういうの見たがる人たちが世間には多くて、ほんとそういうの悲しくなる。

後藤真希モーニング娘。に在籍していたのは、1999年「LOVEマシーン」から2002年「Do it! Now」までの3年間。あの頃のモーニング娘。に「人生って素晴らしい」って歌われたら、それはそうだなって素直に思えたし、「努力・未来・A beautiful star」ってシャウトには明るい希望が宿ってた。結局シンプルなメッセージしか人の心に届かないってことを、おれは後藤真希から学んだのだった。

とりあえず今おれが望んでるのは、プッチモニがオリジナルメンバーで再結成したら、そんなのすごく観てみたいってことです。モーニング娘。が「日本の未来はWow Wow Wow Wow」とか、そんなん言いながら踊っていられる脳天気な時代がまた来てくれたらいいんだけど。

注)このエントリは雑誌「ケトル VOL.05」(2012年2月号)に寄稿したテキストを再掲載したものです。