解題・ミュージックマシーン(2)

そういえばぼくがミュージックマシーンをやっている間、「おまえは自分と音楽の趣味が似ている」という意味のことをすごく多くの人に言われた。もちろん無意識のうちにニュースに偏りが出たり、コメントに熱がこもってしまったり、そういう失敗(自分にとってそれは失敗だった)はあったと思うし、途中からまあそれくらいがちょうどいいのかな、という開き直りに似た気持ちはあったけど、それにしても、あまりにも多くの人が自分と音楽の趣味が似ていると感じていたのは意外だった。あんなに雑多な情報を扱うサイトなのに。
で、あるとき気づいた。読者はみんな自分の読みたいとこしか読んでない。例えばあぶらだこが好きな人がミュージックマシーンを見たときには、同じページにあるコブクロの記事はどうでもいいと感じるはず。Berryz工房が好きな人には、その下の七尾旅人の記事はそもそも視界にすら入ってないのかもしれない。

例えばナタリーではPerfumeの人気が突出しているように思われてるけど、あのサイトがPerfumeファン以外には役に立たないかというとぜんぜんそんなことはなくて。EXILEの記事にアクセスが集まっている一方で、どこよりも早くV∞REDOMSのニュースを流したりもしているわけで。

そう、ウェブなんだから、みんな自分の好きなとこだけ読めばいいのだ。中には誰も読まないページもあるかもしれないけど、それだって必要。人には必要ない情報が必要なんだと思う。仮に自分にとって必要十分な情報が過不足なく提供されたとしたら、人はそこに物足りなさを感じてしまうはず。「もっとなんかあるんじゃないか」って不安になる。あふれる情報の中から自分にとって不要なものを排除して、必要なものだけを自分の意志で選びとったときに、やっとぜんぶを手に入れたという満足感を得ることができる。ある程度の無駄があるからこそ、メディアとしての幅が広がるんだと思う。

もちろん雑多な情報を自分で取捨選択するのはめんどくさいし、レディメイドな情報が供給されるのを口開けて待ってるほうがラクチンだけど、でもせっかくウェブなんだしそれじゃつまんないでしょ、というのがぼくのスタンスです。

だからミュージックマシーンでは見つけた話題にフィルターをかけず、可能な限り全部のニュースを紹介したいと思っていた。そもそも送り手が受け手の欲しいものを把握するなんてことは不可能だし、もしそれができると思ってるならそれはやっぱり傲慢だと思う。

「君たちこういうの好きでしょ」とか「これをレコメンドするおれのセンスすごいでしょ」とか、そんな上から目線の自意識は20世紀に置いてくればいい。送り手の側は自分が持てるすべてを提示して、そこから先の判断は読者に委ねてしまえばいい。結果としてそこにあるのは玉石混淆の雑多な情報かもしれないけど、読者はその中から自分にとっての宝をつかみ取ってくれるはず。それがウェブという無限の荒野における情報流通の正しい姿だし、たぶんそれが読者を信じるということなんだと思う。