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三島くんの思い出

思い出

高校のとき2つ上の先輩で三島くんという人がいて、おれは人生で大事なことはだいたいその先輩に教わった気がする。
当時はまだ札幌にもヤンキー文化のなごりみたいのがあって、みんな学ランのズボンはわりと改造の太いやつをはいてたりしたんだけど、三島くんはいつも細くて短いズボンでね。靴はラバーソウルで、髪はダイエースプレーでピンピン。そんな高校生は他にいなかった。おれがはじめて会ったパンクスだったのかもしれない。
おれはといえば、歳もまだ15、6で、読んでた雑誌はポパイと宝島、みたいな感じだったし、髪の毛はショートボブでウェリントンのメガネをかけてて、いま振り返るとだいぶ軟弱な感じだったと思う。とはいえ学ランはMAX RUGGERの短ラン(裏地は紫)とツータックのボンタンで。そういうのがわりと普通な時代だから、ほっそいモッズスーツみたいな学ランの三島くんは、すごく特殊で妙にかっこよく見えた。
ちなみにちょっと話それるけど、中学とか高校のころ、先輩のことは「○○くん」つって「くん付け」で呼んでたよね? または「○○センパイ」。地域差、世代差あるとは思うけど、おれんときは「○○さん」とか、そんな言い方はしてなかった記憶がある。なんかこそばゆくってねえ。「○○くん」が敬称ですよ。
そんで三島くんは、軽音部の先輩だったんだけど、校舎の階段下の物置を改造したカビくさい部室でよく「えへへ」と笑っていろんなことを話してくれてね。たいていは「なあ、ゆうべ女がさあ、こう乗っかってきてさあ」とかそんなたわいのない話だったけど、15の自分にはけっこう刺激的で、なんか屈託なくしょーもない話をたくさんしてくれて、どうかな、三島くんはどっちかっていうと無口なほうだったと思うんだけど、そういうのがなんとなく嬉しかった。特にためになることとかなんにもない。でもなんか、あーこんくらいアバウトでもなんとかなるんだな、つーかこっちのほうが楽しそうだな、って思えたのは三島くんのおかげだったと思う。
一度だけいっしょにバンドやったんだよね。三島くんと先輩たちがコピーバンドで遊びで1曲やるってときに誘われて、KENZIの「HOTニキエチマエ」をコピーしたことがある。おれボーカル担当でがんばって歌詞を覚えた。髪もダイエースプレーでピンピンに立てた。KENZIの歌詞は1番と3番が同じだから覚えやすくてよかった。KENZIはいいよね。いま聴いても最高にかっこいい。
三島くんは卒業してからは市内にあった近場の大学に行って、うちの最寄り駅の近くのゲオでバイトしてたからたまに会って話したりした。でもいつのまにか会わなくなってそれっきり。いまごろどうしているだろうね。たまに思い出したりします。