小沢健二ライブ 岡崎京子展 戦場のガールズ・ライフ

2015年3月29日(日)東京都 世田谷文学館

  1. 天気読み
  2. 天使たちのシーン
  3. 親(朗読)
  4. それはちょっと
  5. 春にして君を想う
  6. 神秘的(ものかたりす)
  7. 友情という魔法の力(朗読)
  8. 強い気持ち・強い愛
  9. 流星ビバップ(ゲスト・沖祐市
  10. ドアをノックするのは誰だ?(ゲスト・GAMO
  11. 戦場のボーイズ・ライフ
  12. 東京の街が奏でる 

 

  • 当日17:30に突然ライブ告知のアナウンスが流れて館内ざわつく。
  • SNSに事前にライブのこと書かないようにっていう注意あり。
  • 18:00の閉館後、18:30すぎからライブ始まって演奏時間約70分。
  • オザケン白シャツに紺のパンツで座ってアコギ弾くスタイル。
  • 岡崎京子作品の写真をエリザベスさんが撮って、タケイグッドマンさんがリアルタイムで後ろのスクリーンに表示。
  • 岡崎京子さん本人は来場せずだが、京子さんに見せるためのビデオ撮影あり。
  • オザケンiPhoneからのライン出力でビート鳴らして、BOSS RE-20でディレイコントロールしてたっぽい。
  • オザケン最後に「岡崎京子ー!」と叫んで終了。

サザンオールスターズ「東京VICTORY」雑感

サザンオールスターズの「東京VICTORY」っていう曲を最初に聴いたとき、すごく驚いて、いくらなんでも滅茶苦茶だろうって思った。

時を駆けるよ Time goes round
変わりゆく My hometown
彗星(ほし)が流れるように
夢の未来へ Space goes round
友よ Forever young
みんな頑張って
それ行け Get the chance!!

どこに驚いたかっていうと、日本語と英語を織り交ぜた軽快な展開の中に突如ぶちこまれる「みんな頑張って」っていうフレーズ。普通はありえないでしょう。「みんな」っていう不特定多数に向けたメッセージの内容が、よりにもよって「頑張って」とは。どういうことなの。凡庸すぎるし大ざっぱすぎる。そんなの何も言ってないに等しいじゃないか。

そもそも日本語のロック音楽の歌詞で「がんばろう」とか「がんばれ」っていうメッセージを伝えるのは相当に難しいことで、まともな感性を持った詩人だったら、誰もが避けて通りたい難関なはずなんです。

THE BLUE HEARTSが80年代に「人にやさしく」っていう曲で「ガンバレ!」って歌っていたけど、あれは“気が狂いそう”な現実の中、“やさしい歌”を求める自分に向けて絞り出すように叫んだ「ガンバレ!」だったからこそギリギリ成立していたわけで。その後、90年代のJ-POPシーンで「負けないで」とか「あきらめないで」みたいな応援ソングが流行っていたけど、当時の自分は「根拠なく脳天気にそんなこと言われてもな」と思って醒めた気分で聴いてた記憶がある。人に何かを言うなら、中島みゆきの「ファイト!」くらいの覚悟で言ってくれよって。冷たい水の中をふるえながらのぼってゆけ。

で、サザンの「東京VICTORY」。最初こそひどく驚いたけれど、よくよく聴いて納得した。これはもうどうしようもなく「みんな頑張って」っていう身も蓋もない言葉を選ぶしかなかったんだとわかる。なんつっても桑田佳祐なんだから、やろうと思えばもっとうまい比喩とか言葉遊びとか駆使して、いい感じの歌詞っぽい歌詞に仕上げることはいくらでもできたはず。でもそれじゃダメだった。桑田佳祐が今あえてそのまんまの言葉で「みんな頑張って」って歌うのは、「頑張って」っていう直接的な言葉を必要とする「みんな」が実際に存在してるからで、それが今のこの国の現状なんだと思う。

サザンは国民的なロックバンドで、それは言い方を変えると大衆的っていうことで、大衆の欲望に寄り添って、時代の空気をつかみながら、彼らが求めるものを提供していく。桑田佳祐という人はそれを自覚的に、自分自身のマニアックな嗜好と高いレベルで折り合いをつけながらやり続けてるところがものすごいわけです。こんなふうに歌詞の一節についてぐだぐだ考えてる自分みたいなひねくれたリスナーじゃなく、「頑張って」って言われて素直に「よし、頑張ろう!」って思えるような人たちに向けたメッセージをきっちり打ち出すことができる。しかも強いメッセージを伝えながらも、言葉が勝ちすぎていびつになることはなくて、音楽として心地よく聴けて、だから素直に受け入れられる。

ただ、もちろん今の「東京」に「VICTORY」なんて言葉がぜんぜん似合わないっていう問題はあって。この曲は「TOKYO, The world is one!! We got the victory」っていうフレーズで終わるけど、今のところ世界はひとつじゃないし、我々はどんな勝利も手にしていない。VICTORYとか言う前に解決しなきゃならない課題が山積みで、それでも無理やりにでも希望を掲げなきゃならなくて、だからこの「東京VICTORY」という曲は、今の自分にはやっぱり少し空虚に聞こえてしまう。だからこそ高らかに勝利を歌って気を紛らしたいって気持ちもあって、その両端をいつまでも行ったり来たりしてるのだけど。

トポデザインズのウエストバッグ


半年くらい前に買って重宝してるバッグを紹介します。このTOPO DESIGNSのウエストバッグだいぶいい感じ。2007年にできたコロラドのメーカーらしくて、おれはこのダックカモ柄買ったけど、何がいいかってそんなでかく見えないのにMacBook Pro 13inchがすっぽり入るのがありがたい。楽天とかで「TOPO DESIGNS HIP PACK」で検索すると出てくると思う。
Hip Pack | Topo Designs - Hip Packs Made in Colorado USA

小沢健二21世紀客演記録

スチャダラパー「スチャダラ2010〜オールスター感謝祭〜」(2010年5月9日)

東京スカパラダイスオーケストラ「トーキョーナイトクルージング」(2012年9月30日)

スチャダラパー「新木場ジャンボリー」(2012年10月13日)

真城めぐみ「MASHIROCK FESTIVAL 2013」(2013年9月29日)

  • いちょう並木のセレナーデ
  • 愛し愛されて生きるのさ

笑っていいとも!「テレフォンショッキング」(2014年3月20日)

  • ぼくらが旅に出る理由
  • さよならなんて云えないよ
  • それはちょっと
  • ドアをノックするのは誰だ?
  • 今夜はブギー・バック(CM中)

東京スカパラダイスオーケストラ「Live at Budokan 〜The Last〜」(2015年3月28日)

  • モノローグ

スチャダラパー「華麗なるワンツー」(2015年4月11日)

毛ガニ

毎年恒例ライジング帰省。実家に着いた日の晩メシは毛ガニでした。

今年のライジングはちょっと雨も降ったけど、総じて暖かくて過ごしやすかった気がする。あとは明けて日曜夜に高校のときの友達とひさびさ飲んだりして、最終のバスなくなったからすすきののカプセルホテル適当に泊まって、ニコーリフレっていうとこだったんだけど、えらいきれいで快適ですごいよかった。2700円で大浴場満喫。カプセルホテル好きだなー。

帰りの飛行機では東野圭吾の「新参者」ていうのを読んで、別にミステリって感じじゃなかったが、ハートウォーミングな下町人情話みたいのが目白押しでちょっとよかった。

「風立ちぬ」堀越二郎の空洞

風立ちぬ」すごく面白かった。二郎のクズっぷり推せる。あれだけ虚無い(きょむい)人物を主人公に据えつつ前向きな感動みたいなとこに持っていくのがすごかった。

ただ、二郎が菜穂子に対して薄情だとか、戦争産業への従事に伴う葛藤がないとか、そのあたりの違和感はすでに各所で語られていて、それは二郎が飛行機に夢中になりすぎてほかのことが目に入らないせいだって捉えられてるみたいだけど、自分はなんだかそういうことでもない気がしたんですよね。

二郎はすごい飛行機を作ることさえも実はどうでもいいと思ってるんじゃないかと思う。ほかにやることないからやってるだけ。ただ流れていくだけの人生を埋める暇つぶしで、どうせ暇つぶしならせめて美しく飛んだほうがいいだろうっていうくらいのもんじゃないのかしら。

菜穂子のことも自分のこともどうでもよくて、菜穂子の死にも自分の生にも興味がない。だからこそあの映画は、これ見よがしに「生きねば。」なんていう空虚なキャッチコピーを掲げるしかない。もとから生きる意志がある人にわざわざそんな言葉はいらないわけだし、現実から目を逸らして前向きっぽいことを言ってみることで、まともな人になった気分を味わいたいっていうのはよくあることですし。

二郎の抱える空洞こそがあの映画の独特の空気を形作っていて、その空洞を感じる人とそうでない人とで、作品の見方はだいぶ変わってくるだろうなーと思いました。

ねこと暮らしていた

ねこと一緒に暮らしていた。1990年代の半ばから数年間だから、もうずいぶん前のことだけど。

名前はにゃりん太。「忍者ハットリくん」に出てくる影千代(忍者猫)が「にゃりーん!」て言うのがイカしてたから、そこから名前を拝借しました。その前はトトロって呼ばれていたらしかった。

トトロって呼んでたのは当時近所に住んでた人たちで。トトロは地域のボス猫で、うちに来る少し前からいろんな人にかわいがられてたみたい。真っ白で顔と背中に茶色のブチがある、とてもきれいなねこ。

でもある日にゃりん太はうちにやってきた。通りに面したアパートの外階段を上がったところの2階にある、うちの玄関の前になぜかちょこんと座ってた。「いやいや、うちでは飼えないんだよ」って伝えてみたけど、にゃりん太はずっと玄関の前にいて、しょうがなくドアを開けたらそのまま物怖じもせずに家に入ってきて一言「みゃー」って鳴いた。その頃はまだ半野良のやせっぽちで、しょうがないから牛乳を飲ませて、ねこ缶を買ってきて食べさせて、そのときを境ににゃりん太がうちの家族になった。

にゃりん太と暮らしてた毎日は本当に素晴らしかったな。おれが外から帰ってくると毎日玄関の前で待ってる。「ただいま」って言って一緒に家に入って、ねこ缶とカリカリをやって、落ち着いた時間を一緒に過ごして、夜遅くなるとにゃりん太は出かけていく。集会とかパトロールとかいろいろ忙しいみたいで、こっちは「お務めご苦労さん」って言って送り出す。ちょっとしたら帰ってきて玄関の前で「みゃー」って鳴くから家に入れて、一緒の布団に入って眠る。朝は一緒に起きて出かける。そんな感じの毎日でした。

休日の昼はのんびりしてごろごろして「にゃり、散歩行こか」って言って一緒に家を出て。近所をぐるぐる散歩して、近所の神社で狐の像や木の枝に登って遊んだり、一緒に家に帰って水を飲んだり。

にゃりん太がうちを選んで来てくれたことが誇らしくて、にゃりん太に恥ずかしくない生き方をしなきゃなんて本気で思ってた。なんていうか、ねこを飼ってたわけじゃなくてまるっきり対等で、ただ一緒に暮らしてただけだった。自分にとっての輝かしい日々みたいなものがあるとしたら、にゃりん太が自分を慕ってくれて一緒に過ごしたあの頃のことだと思う。

だけどにゃりん太はある日交通事故であっけなく死んでしまった。あの注意深いにゃりがどうして?って思ったけど、世界の仕組みは本当にわからない。

にゃりん太はおれなんかよりずっと立派で、賢くて、世の中のことをわかっていて、たくさんの仲間に慕われてた。あのやわらかくてあったかいけもののことを、おれは心から尊敬していた。にゃりん太が死んでからずいぶん経つけど、今も思い出すと胸が詰まる。おれもいつかにゃりん太みたいになれたらいいなってずっと思ってる。