Apple信者

2008年の頭にMacにスイッチして、それ以来何が快適かって、コンピュータのことを考えなくてよくなったのが最高だなって思う。それまではスペックとかデザインとかいろいろ見比べながら何年かごとに次のパソコンどれにしようかって考えてて、そういうの楽しい人はいいんだろうけど、おれの場合はそこから解放されて今すごくラクだしすっきりしてる。今のMacのスペック物足りなくなったらそんときの最新機種に買い換えればいいだけっていうのがいい。iPhoneも同じで、ガラケー時代に携帯の機種をいろいろ調べて、機能を比較したりしてたのとかもうわずらわしくて、そんな時代に戻りたくないって思うわ。

菊地成孔山下達郎の音楽を指して「街中どこに行ってもかかってる。それはファシズムなんだけど全然息苦しくならない。達郎が全部埋め尽くすならいいよ」て言ってたけど、まさにそういう感じ。Apple帝国に埋め尽くされるならそれでぜんぜんいいやって思える。

願わくばそれがおれたちのSONYだったらよかったのに、って思うくらいには日本が好きだったりはするけど、それはもう言ってもしょうがないことだしなー。

いきものがかり「風が吹いている」について

いきものがかりの「風が吹いている」がすごいのは、やっぱり最後の「La La La…」っていうコーラスのところだと思う。あれを入れるのは相当な勇気がいるでしょ。作り手が「これは壮大なスケールの曲ですよ」ってことを自ら宣言してるわけだから。普通だったら気恥ずかしくてそんなことできないし、さりげなく作った小品ですって言ってたほうがどんだけラクか。

でも今のいきものがかりの3人にはそれを引き受ける覚悟と勇気があって、国民的な名曲を作ろうっていう馬鹿みたいな目標を掲げて、本当にあの名曲を作ってしまった。実際、曲自体もあの壮大なコーラスに耐えるだけの強度を持ってて、紅白歌合戦のクライマックスで歌われて、老若男女を感動させてるっていう事実。それをあの、どっから見ても普通の姉ちゃんと兄ちゃんたちが成し遂げてるっていう奇跡。ほんとにすごいと思う。

ライジング帰省

この夏は例年通りに札幌の実家に帰った。俗に言うライジング帰省っていうやつです。

家に帰ると毛ガニが1人1杯用意されてて、ビール飲みつつ両親と、あとたまたま同時に帰省してた姉といっしょに機嫌よく食べる。味噌すくいながら「なまら北海道だなー」って思う。

家族で話しながら、子供の頃、吹雪のときの集団下校がつらかったって話題になって、北海道は寒いのがイヤすぎて大人になって自分で稼げるようになったら内地に引っ越したいと思ってたって言ったら、母親に「あんたそんなに北海道がイヤだったのかい」って言われてちょっと申し訳ない気持ちに。そうでもないよ。いい土地だと思うし、好きなところはたくさんあるし。ていうか、札幌で生まれ育ってなかったら自分は今とはまったく違う人間だったろうし、とても感謝しています。

水泳入門

おれ30代になるまで泳げなかったんです。水が怖いとか浮けないとかじゃないんだけど、息継ぎっていうものがうまくできなくて。

地元が北海道で、北国って夏が短いからプールとか海とか行かなきゃ行かないで過ごせるし、子供の頃の水泳の授業もぷかぷか浮いてればなんとなくどうにかなった。大人になって東京に引っ越してからも、泳げなくて困る場面ってなかったし。
でも30歳を過ぎたある日、確か「未来少年コナン」のDVDを観てたときに「泳げないのやっぱまずいなー」って思って、プールのある近所のスポーツジムに入会したのだった。

それで水着買ってプール通い始めたけど、まあ最初はもちろん泳げないですよね。息継ぎっていうのどういうふうにやればいいか、そもそもの仕組みがわかんない。

仕方ないから図書館に行って「水泳入門」ていう本を借りてきて、部屋のベッドの上でバタバタやって練習して、またプール行って試してみる、っていうのを何度か繰り返して、そしたら息継ぎできるようになったよ。やったー。

今はおかげさまでばりばり泳いでます。自己流だからたぶんフォームとかヘンだしあんまり速くは泳げないけど特に問題ない。泳いでるときは無心になって、1時間とかすぐに経つから面白い。黙々と泳いでるのだいぶ好き。

あらかじめ決められたアンコール

あらかじめ予定されてるアンコールってやっぱどうにもなじめない。ライブに行くたび、実は毎回思ってる。

「以上をもちまして本日のコンサートはすべて終了いたしました」的なアナウンスが流れて、それでもなお観客がアンコールを求めて、拍手と歓声が鳴り止まなくて、そうやって求められた演者がステージに戻ってきて予定外の曲を演奏するっていう、そんなアンコールが本当のアンコールじゃないすか。

だから、最初からやることが確定してて、セットリストにがっちり組み込まれてるアンコールはやっぱり違和感がある。演出の都合とかって話ももちろんわかるし、それが今どき普通のことだっていうのもわかるけど。それでも予定調和のアンコールを目の当たりにするとやっぱりいつももやっとした気持ちになるんだよなー。ちょっとだけしらけてしまうっていうか。

だってアンコールやるって最初から決まってるなら、本編ラストで「次で最後の曲です」って言ったり、本編終わって「さよなら」って手を振ったりするの、それ全部嘘じゃんか。最後の曲じゃないじゃんか。どうせ戻ってきて演奏するつもりなら、しらじらしくそんなこと言わないでほしい。

もちろんそういうアンコールの演奏でめちゃめちゃ感動したことも数え切れないほどあるし、誰かが損するわけでもないけど、やっぱり嘘は嘘だから。世の中そういうもんだよとか言いたくない。本編に全部詰め込んで完全燃焼してくれればいいのにって心のどっかでいつも思ってます。

石鹸生活

たまにはちょっと生活感のある話もしてみたいと思うんです。シャンプーと枕は不要かもしんないですよ、という話。

まずシャンプーについてですけど、自分はここ15年くらいシャンプーを買ったことがなくて。じゃあどうしてるかというと、石鹸ひとつで頭も身体も全部洗ってる。これめっちゃオススメです。

自分はシャボン玉石けんというやつを使ってるけど、化学添加物が入ってない純粋な石鹸ならなんでもいいと思う。この石鹸オンリースタイルの何がいいかっていうと、シャンプーもリンスもトリートメントもボディソープもフェイスウォッシュも、男の人ならシェービングクリームも、そういうの全部いらなくなるっていうことなんです。

「ボディソープなくなりそうだし詰め替え用の安いの見つけたら買っておかなきゃ」とか「シャンプーとリンス違うのに代えたいけどリンスがまだなくならないんだよな」とか、そういう些末な悩みから完全に解放される。風呂場も超すっきりする。家には1個136円のシャボン玉石けんだけ置いとけばいい。

それに今のシャンプーには合成界面活性剤とかいろいろ入ってるらしいじゃないすか。そういう化合物から無縁になるのも気持ちいい。

「えー、でも石鹸だと髪ゴワゴワになるんじゃないの?」という不安もあるかと思いますが、これも大丈夫。ずっとシャンプー使ってる人が石鹸に転向すると、最初の1〜2週間は髪がきしむような感じがちょっとある。でもそれを過ぎると、あとはリンスとか使わなくても普通にさらさらになります。髪の毛って本来そういうものなので。

あと、石鹸は旅行とかキャンプとかフェスとか、そういうときにも威力を発揮する。自分はこないだインドに行ってきたんですけど、向こうの安宿にシャンプーなんてないし、今は飛行機に液体持ち込むのもひと苦労だし。そんな中、石鹸ひとつ持っていくだけで普段と変わらぬ環境が手に入るのは助かりました。

それと自分はボディスポンジも使ってなくて。石鹸をちょっと泡立てて、手でぺたぺた身体を洗って、頭に石鹸つけてシャカシャカ洗って、そのまま顔も洗ってざーっと流して完了。頭も普通に泡立つ。風呂タイムにこだわりのある女の子とかはともかく、たいていの男はこれで十分だと思うんですよね。余計な匂いもつかないし。女子も身体に不純物をつけたくない人はたぶんこっちのほうがいい。

というわけで、シャンプーの話は以上です。あとなんだっけ、枕がいらないっていう話もするんだった。枕の話は、これは万人に勧めるわけじゃないけど、ないほうが快適っていう人、実は多い気がするんですよね。自分はあるとき「これもしかしていらなくね?」と思って枕なしで寝てみたらぜんぜん調子よくて、それ以来ずっとノー枕派です。ベッドの端から端まで寝返り打てるし、うつぶせ寝しやすいのもいい。これからの生涯もう枕を買わなくていい。枕が変わると眠れないっていう悩みから解放されるのも大きなメリットです。

注)このエントリは雑誌「ケトル VOL.06」(2012年4月号)に寄稿したテキストを再掲載したものです。

笑いと天才

“お笑い”というのはオルタナティブな視点の提供であってほしいと思う。代わり映えのしない日常を生きるおれたちに、想像もつかない自由な世界を提示して、受け手の意識を解放してくれるものであってほしい。ここではないどこかへ連れていってほしい。

しゃべりのスキルがいくら高くても、いくらボケとツッコミのテンポがよくても、それだけでは笑いの本質に手をかけることはできない。すぐれた話術は笑いを生み出す必要条件ではあっても十分条件にはなり得ない。早弾きの得意なギタリストが必ずしも魅力的なフレーズを弾けるわけではないように。スキルの高いラッパーがその言葉で真実を射抜けるとは限らないように。

最低限の技術はあって当たり前。努力や練習ではどうにもならない、その人の圧倒的な才能と非凡な発想がすべてをなぎ倒す瞬間をこそおれは見たい。クラスの人気者程度の人たちががんばってもたかが知れてるんだし、だからこそ選ばれた人はとことん道を極めて、おれたちをもっともっと喜ばせてほしい。